演じることは生きること

緊張の面持ちで役者が集まる。

シナリオというテキストが与えられる。もしくは「シナリオはありません。今日は即興でエチュード(ある場面だったり状況を与えられ、その中での振る舞いや行動を感じたままにやる)をやっていきます。」的なことを言われるかもしれない。

ここではまずシナリオが与えられる、ということに過程していわゆる稽古が始まる。

このシナリオが問題だ。 お芝居は時間が決まってるゆえ終わりがある。結局終わりはどうなるの? という結論じみたものが問われる。 よく設計図と言われるがこの羅針盤みたいなものをどう読み解き、演じるか、が役者に求められる。

先ずは台本を分析だ。 

大きく段落に分ける。全体の流れの構造を掴む。それぞれの役の役割を把握する。サッカーのポジショニングに似ている。役には役それぞれの役割があり、各ポジションをこなす。

中心になってシーンを回す役、シーンをかき乱す役、ちょっとした出ないがインパクト大な役、など様々だ。

それなので誰がかけても試合が出来ない。ここが演劇の素晴らしいところの一つだ。

会社に行ってみると自分がいなくても代わりがいくらでもいる、と気づく瞬間が多かれ少なかれあるだろう。

しかし演劇は違う。

同じ役を違う人がやったら違う演劇になる。正に代わりはいない、のが醍醐味だ。

他人を生きる

一作品を演じるということは、他の人の人生を生きれる、ということなのでとても為になります。

(基本的に)物語が一旦始まったら誰も止められません。目の前に起きている事象に対応していくと自然に体が動き、ある意味憑依的な感覚に見舞われます。

全員で一つの作品を作っている、という一体感はまるで中毒のように病みつきになります。

それぞれがそれぞれの役割を演じ、バトンタッチをしていきながらクライマックスに流れていきます。

いい芝居はお客さんを巻き込み、ともに作品を作っているという感覚に見舞われます。

悲劇であろうと喜劇であろうと終幕にお客様と一緒に流れ込んでいき、一人一人の人生を生き切って終幕を迎えます。

あー人生は選択の連続だな、としみじみ実感します。正に新たな作品に関わり、いろんな人達の作品を作り、役を演じ、物語を作っていくことによって自ら学ぶわけす。

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